足は尾びれ、手は背びれ
以前、利用者のAさんお宅で訪問リハビリに来ていた、理学療法士のB氏に会った時の話しです。
Aさんは、65歳の男性で、3年前に脳梗塞で入院され、右上下肢の麻痺に加え、失語症・高次脳機能障害もありました。
Aさんは、脳梗塞の手術後に急性期病院から転院され、リハビリ専門病院2ヶ所で約6ヶ月間、急性期と回復期のリハビリをされてから退院されました。自宅に帰ってからも、1年6ヶ月にわたり訪問リハビリで機能回復訓練をされておられましたが、立位保持は厳しく、車いすでの生活をおくっておられました。
B氏は、病院で臨床を5年間経験し、現在大学院で神経発生学の研究をしながら、リハビリステーションの臨時職員として訪問リハビリをしているとのことでした。
B氏は、約1年前からAさんの担当になって、週1回1時間、Aさんの自宅に訪問して、リハビリをおこなってきましたが、残念ながらB氏は、急に大学院での研究室が他府県に変わることになり、今日が訪問リハビリの最後の日になってしまったのです。
その日の数日前に奥様から電話で、「ぜひ主人に会いに来てほしい」と連絡を貰いました。そこで、担当のケアマネジャーと訪問させていただくと、私がお会いした1年前の車椅子の上に座っておられる姿ではなく、杖も付かずに、麻痺側の足に装具をはめた足を引きずりながら、しっかり歩いておられる、Aさんの姿がありました。その姿は、以前の険しい表情から、想像が出来ないくらい穏やかで、言葉もしっかり聞き取れるように成られていました。
B氏のリハビリは、和室の畳の上で行なわれていました。Aさんが部屋の真ん中に座り、麻痺側の握られた手を、健側の手で必死に開けようとしているAさんにむかって、B氏は「だんなさん、そんなに無理に開けることは、不自然だからやめましょう。」と伝えました。その後B氏は、利用者を畳の上に大の字で寝かせて「だんなさん、力を抜いて腰を左右に動かして下さい。」との声を掛けました。Aさんも左右に腰を振り始め、力が抜けスムーズに腰が回転したその時、「ほら、今、手は開いていますよ」。微笑みながら話すと、Aさんも、とてもうれしそうな笑顔で「本当ですか、開いていますか」と確認しながら、腰を振り続けていました。
次に両手を、両耳に当てて、大きく背筋を伸ばしたり、力を抜いたりを繰り返し、その後、首を左右に動かし、首の動きに手と足を合わせて、同時に左右に大きく伸ばす運動をしました。その時B氏は、Aさんに、「だんなさん、足は魚で言えば尾びれと同じです。手は魚で言えば背びれと同じなんです。無理に手を開けよう、足を曲げようと思えば思う程、力が入りうまく行かないですよ。足は腰がうまい動かせなければ動かないですし、手は肩甲骨の後ろの部分が動かしているのですよ。」と話し掛けました。結局B氏は、小一時間の間、直接体に触れられることは、ほとんどありませんでした。
B氏は、この一年間のリハビリを、日常生活をベースとして、ベッドを止めてふとんに変え、ふとんの上げ下ろしを生活の中に取り入れたり、正座の練習をしたそうです。
現在、日本のリハビリテーションの、脳血管障害に対する考え方の多くは、急性期、回復期、維持期に分けられ、急性期は発症直後から廃用症候群の予防と、早期からの運動学習による、セルフケアの早期自立を最大の目標とし、回復期リハビリテーションは、出来るだけ早期に最大の機能回復を目指して行われ、維持期リハビリテーションは、獲得した機能を出来るだけ、長期に維持するために実施されています。
Aさんの場合、発症後2年も経過してからの維持期において行われたにも関わらず、回復期のような機能回復の成果から見れば、医療保険制度の無謬性に疑問を感じざる得ません。すなわち、日常生活における脳の可塑性に対するアプローチは非常に有効的で有り、維持期においても機能回復のエビデンスを集積して、医療保険での対応が出来るように取り組んでいくことで、多くの患者様のQOL向上につながり、しいては医療費や介護保険費の削減につながるのではないでしょうか。
代表取締役 朝尾 浩康